南東山 清福寺
宗旨 浄土真宗
宗派 本願寺派
宗祖 親鸞聖人(1173~1262)
本尊 阿弥陀如来
昔源平の乱の時、安徳天皇が赤間関に皇居されたころの青海島は北国の海ロであり、屯(たむろ)が設けられていた。平家の将士滞在中に一宇を草創し(現在地より東、寺山と称す) 本尊薬師如来を安置して真言弘通の霊場として繁栄するが、文治元年(1185年)壇ノ浦の戦いでの平家の殉死により次第に荒廃し、堂宇大破して僅かに草堂が残るのみとなる。
月日の移り変わりと共に村人も次第に浄土真宗に帰依し、仙崎や深川の寺院に詣でて真宗の御法義を聞くようになるが、海上の隔たりによって法縁が疎遠となることを嘆き、真宗の道場 の建立を願う。しかし寛文時代(1660年頃)より新寺の建立は禁じられており、真言の古跡を真宗に改め、住職を迎えるために『上利文左衛門』『大泊太左衛門』の二人、大和の国に登り遊学中の『智哲』師を尋ね、村人の志願懇望を語り、元禄3年(1690年)開基として迎える。(本願寺第14世寂如上人の時代)
その10年後、元禄12年(1699年)寺基を現在の地に移転し、薬師堂を改めて本堂(五間四面)を建立する。
安永3年(1774年)第6世住職『慧應』現在の本堂を建 立し、その後、天明元年(1781年)清福寺累代家譜を記す。