慈雲山 観音院 圓究寺
宗旨 浄土宗
宗祖 法然上人(源空)(1133~1212)
本尊 阿弥陀如来
圓究寺、昔は観音院と呼ばれていました。長暦年中(1037~1040)後朱雀帝の代、阿弥陀如来、33体の観世音菩薩像、不動明王像そして毘沙門天像の36体の仏像が大内菱紋入りの厨子に安置し祀られていました。宗派は不明で、天正元年(1573)深誉円応上人の代、浄土宗となり寺号圓融寺と称しました。
寛文7年(1667)阿川家毛利就方が参詣の時に、観音霊験新たなることを聞き、長州藩2代藩主毛利綱広の上聞に達しました。3代毛利吉就ご誕生の時に安産の祈願所となり、観音堂と山門を寄進されました。翌年毛利就方も鉄灯篭2基を寄進されました。以後藩主が湯本、俵山に入湯の折には、必ず名代が参詣され、元文5年(1740)には、6代毛利宗広が観音御開帳にご参詣されました。
明治維新後の寺院の統廃合により、南町の慈眼寺と合併し、圓究寺と改称しました。明治39年(1906)火災に遭い、山門以外本堂庫裡などすべて焼失しましたが、明治42年(1909)再建されました。
昭和27年(1952)、毛利公ご寄進の山門を解体し、現山門を新築しましたが、4面には旧山門の遺構(龍・兎などの彫り物)が残っています。
8月10日 観音さま千日参り縁日
長門三十三観音霊場 32番 ご詠歌
「まいる人心も円くやわらぎて 二世をたくする仏なりけり」